1923年9月1日正午前、神奈川県の相模湾沿いから房総半島にかけてのプレート境界で起きたM8級の巨大地震は、明治以降、前のめりで近代化してきた我が国の首都圏に、大震災をもたらしました。10万5千人を超える犠牲者の多くが東京都内の延焼火災によるため、東京の地震と思われがちでしたが、地震の震源は神奈川県の直下。同県内では、揺れによる建物倒壊や斜面崩壊、液状化、津波の被害が生じ、静岡県、千葉県、埼玉県も被災し、国内外からの救援も行われました。
それから100年、戦災もくぐり抜け、高度成長やバブルを経て、まちには震災の痕跡が見えなくなっています。この100年で、プレートの沈み込みが実測されるようになり、建物を揺れに強くする多様な方法が開発され、台所で使われるガスは揺れたら自動で止まるなど、科学技術は進みました。しかし、首都直下地震の被害想定の大きさは、私たちの過去からの学びが足りていないことを表しています。
「防災推進国民大会(ぼうさいこくたい)2023」の開催地は、100年前に地震が直下で起きた神奈川県。大会テーマは「次の100年への備え〜過去に学び、次世代へつなぐ〜」です。防災の多様な担い手が、横浜国立大学のキャンパスに一堂に集まり、互いに学び合い、災害被害の軽減への取り組みの質を向上させるきっかけとしなければなりません。
こくたい開催を間近に控え、地元の神奈川県の黒岩祐治知事と横浜市の山中竹春市長のおふたりに、今年のぼうさいこくたいの開催の意義などについて、オンラインや書面でインタビューを行いました。
中川和之 内閣府TEAM防災ジャパンアドバイザー(時事通信社解説委員、横浜市在住)
原点は救命士制度発足の報道キャンペーン=920万の命を預かる役割は天命と知事に
ー 昨年の神戸で披露した次年度開催地の知事メッセージで、防災は「私にとって一丁目一番地の最重要施策の1つ」とおっしゃっていました。どういう思いからあの言葉となったのですか。
報道の現場にいた私にとって、原点は1989年から翌年にかけて行った救急医療のキャンペーンでした。当時は、日本の傷病者の救命率は発展途上国並みでした。パラメディックの先進国だった米国では、ベトナム戦争の衛生兵が原型となっていることを取材し、日本では自衛隊が医療集団としても災害時に役立つことを放送していました。その後、救急救命士制度が創設されましたが、私の出身地が被災地となった阪神・淡路大震災では、自衛隊のヘリがすぐに飛ばなかったと批判されました。残念ながら、事前の訓練がなかったために飛べなかったのです。そこから制度も変わってきて、今に繋がっています。
○郷里の大震災で、命を救うために、まちづくりや耐震の積み重ねが大事と痛感
その阪神・淡路大震災ですが、被災地の小中高の出身だった私は、第一報を聞き、すぐに取材に入ったのですが、まちの壊滅的な被害を目の当たりにし、言葉を失いました。まちを歩いていても、(建物の倒壊などで)垂直が分からなため、方向感覚を失ってしまう。母校の体育館は、遺体安置所になっていました。
日本列島はいつどこで、どんな地震がくるか分からない。最終的に、一人ひとりの命をどれだけ助けられるか。巨大な地震は避けられなくても、どれだけの命を救うことができるのか。まちのつくりかた、災害に強いまちづくり、火事が広がりにくいまちづくり、家の耐震構造、そういう一つ一つの積み重ねが大事だと痛切に感じたのが郷里で発生した大震災でした。
ー 知事になられるきっかけも災害だったそうですね。
東日本大震災の直後が、初めての選挙でした。告示日の3週間前に出馬の声をかけられたのですが、その直後に地震がありました。救急医療や災害対策の重要性を知っていた私でしたので、920万県民の命を預かる知事になるのは天命だと、そこで出馬の決断をしました。
○ダムの緊急放流の決断迫られ、知事の仕事の究極の恐ろしさを実感
その私も、令和元年台風19号(東日本台風)のとき、知事という仕事の究極の恐ろしさを感じました。相模川上流の城山ダムは、事前に放流はしていたものの、ダムに水がたまってきて、緊急放流をしなければダムが決壊するかもしれないと、決断を迫られました。相模川の状態は、堤防から溢れるギリギリまで来ている状況となっていました。緊急放流を決断したら、その影響で人が亡くなるかもしれない。放流を待ったら、ダムが決壊して甚大な被害が発生するかもしれない。そのような究極の選択に迫られました。ギリギリで収まったため、最悪の事態にはならずに済みましたが、これは、幸運としか言いようがありません。
ー 知事になられてすぐに取り組んだ防災施策は、津波対策でしたね。
東日本大震災の現場では、まち全体がそっくり消滅していて、津波の恐ろしさを感じました。神奈川県の防災対策は阪神・淡路大震災以前から、積極的に取り組まれていましたが、津波への備えはほぼなかったのです。
○湘南の海は神奈川の財産、巨大堤防より避難タワーや避難ビル中心に対策
神奈川県は海に面しています。「湘南」は全国からもあこがれられる場所で、我々にとっては財産でもある海とは、これまで親しむことがメインでした。しかし、海際の土地は低いこともあり、津波が来たら大変な被害になると考えていました。
神奈川県が作成した津波の浸水想定図を発表するにあたっては、海に近い人気のエリアの価値が下がるなどのクレームが出るのではと懸念しましたが、「知ってもらうことが大事」と発表をしたところ、心配したような批判はありませんでした。
一方で、湘南海岸の美しさはみんなの財産であることから、津波を防ぐ巨大な堤防を作ることをせず、命が助かることを考えて、避難タワーを作ったり、海際のマンションなどのビルを津波避難ビルとして指定する対策を進めました。津波が来て、海岸で遊んでいたらなるべく高いところへ。家が流されて、まちが破壊されても、命が助かることを考えて高いところへあがるのが大事、ということを訴えてきました。
ー いま県では、防災でどういう取り組みに重点を置いていますか?
デジタル行政を徹底して進めています。津波浸水想定図など様々な情報を重ねることで、浸水の可能性があるエリアの中にいる移動が困難な人に、「あなたは何時間後に浸水する可能性がある場所にいますので、この避難所へ逃げてください」というような情報を、プッシュ型で発信することにより、逃げ遅れゼロを目指したい。コロナ禍でも、県からプッシュ型で情報を送った実績がある。プッシュ型の情報発信をすることで、一人ひとりが早めに行動してもらい、一人でも多くの命を救うことを柱に取り組んでいる。
ー 今年のぼうさいこくたいは、関東大震災から100年を機に「次の100年への備え~過去に学び、次世代へつなぐ」がテーマです。関東大震災は、東京での火災被害が注目されますが、地震の震源地は神奈川だったことは、あまり知られていませんね。
私も、かつては関東大震災を東京の地震だと思っていました。知事になって、小田原での視察で被害の話を聞いて、こんな被害や地震だったのだと初めて知りました。神奈川の被害が大きかったことが、これまで、きちんと伝えられていないところがあります。
○就任後に知った神奈川直下だった関東大震災=100周年では先達の労苦を広く知って
今年の関東大震災100年は、神奈川直下の地震だったことを、改めて情報共有するチャンスだと思っています。このぼうさいこくたいの開催もそうですが、県立の歴史博物館では、関東大震災100年をテーマに当時の資料を集めた展示をしています。この神奈川県庁の本庁舎も、関東大震災の後に建て替えたので、壁が分厚く、頑丈に出来ています。県庁にお越しいただいたお客さまには、なぜこの壁がこんなに分厚いのかと、関東大震災のことも紹介しています。
ーぼうさいこくたいでは、全国から多くの防災の担い手が神奈川に来られると思いますが、神奈川で何を知って、持ち帰って欲しいですか?
神奈川が壊滅的に被災した大震災から100年、その間に太平洋戦争もありました。県内の現状は、大きな地震があり、戦争があったとは感じないぐらい、見事に復興を遂げています。県内を歩いてみるだけでは、大きな被害が遭ったとは感じさせないですが、よくみると各地に災害の遺構などがあります。そこに彫られている名前にどういう意味があるのかなどは、説明がないと分からないですが、名前が残された先達の労苦が確実にあった。今のまちの素晴らしさの中には、先達の努力の積み重ねがあったことを、改めて知っていただきたいですね。
○備えが奏功した対策をどう知ってもらうか、知恵を教えて
ー また、他地域からのこくたい出展者から、どんなことを学びたいですか?
災害対策をしたことで大きな被災を免れたことが、どう伝わっているか、知りたいです。メディア出身でもあるので、気になっていることでもありますが、災害が起きたときは報道するが、起きなかったときは報道しない。なぜ川が溢れなかったかという報道はされません。
新横浜駅近くの日産スタジアム周辺が鶴見川の遊水地となっています。令和元年台風19号の際に川が溢れそうになりましたが遊水地が機能したため、翌日のラグビーワールドカップの日本ースコットランド戦は、何ごともなかったように試合を行うことができました。しかし、溢れませんでした、というニュースにはならなかったのです。これは、いつも洪水を繰り返してきた鶴見川に、暴れる水をためる遊水地を先達が作ってきていたおかげなのです。遊水地の存在意義を、もっとアピールする必要があると思っています。他の自治体でも、事前の備えをアピールする知恵があれば教えていただきたいですね。
(取材・構成、中川和之 TEAM防災ジャパンアドバイザー、時事通信社解説委員、横浜市在住)
横浜の強みは地域の力=サポートするために防災DXも推進
−今年のぼうさいこくたいは、100年前の関東大震災での被害が大きかった横浜での開催となりました。大火による東京の被害が注目されがちですが、横浜では当時、どんな被害が生じていましたか。
関東大震災では、お昼時の地震と火災により、横浜の市街地では家屋の8割が全壊し、2万6千人以上の市民の尊い命が失われました。震源に近かった横浜では、建物倒壊や火災による被害が大きく、当時の市内の8割を焼失するほどのものだったといわれています。
−相模湾を震源とする次の関東地震は、まだしばらく先と考えられていますが、いわゆる首都直下地震は、いつ起きてもおかしくないとされています。377万の市民の命を預かる市長として、どんな心構えをお持ちですか?
大地震をはじめとした災害時、市民の皆さまの生命、財産をお守りするのが基礎自治体の使命です。市民の皆さまの安全と安心を守り抜くため、市長就任以来、「いざという時に確実に動ける組織」を作ることに力を入れています。
市役所では、発災時に起こり得る状況や被害を具体的に想定して、警察や海上保安庁、自衛隊、ライフライン事業者、物流事業者にもご協力いただき、より実践的な訓練を実施しています。9月1日の「防災の日」には、私から職員にメッセージを伝え、市役所一丸となって市民の皆さまをお守りする決意を共有しています。
○建物の耐火性が高まっても火災対策は大切、密集市街地で感震ブレーカーに補助も
−100年前の課題を、どう現代に活かしていけばいいか、どのような問題意識をお持ちですか?
まずは地震による火災への対策が大切だと考えています。地震による火災は大きな被害につながってしまいます。現在の建物は耐火性能が高まっていますし、新たに開発された地域は火災が広がりにくい設計になっていますが、市内の人口は関東大震災の頃から8倍以上になっていて、住宅など建物の数が増えた分、火災のリスクが高くなっていると言えます。また、市内には昔ながらの町並みや、住宅が密集するエリア・崖地も多く、思い通りに火災対策が進まない状況もあります。
そうした立地的な条件もあるので、関東大震災のように同時多発的に火災が起これば、行政による消防隊や救助隊だけでは対応が難しくなります。地震による火災の原因の過半数は電気が関係するものなので、電気からの火災を防ぐ取組や、地域の初期消化力を高める取組が大切になります。横浜市では、住宅密集地を中心に、地震発生時に自動的に電気を止める感震ブレーカーの設置などに取り組んでいます。また、地域における初期消火活動には、その地域のことをよく知っている消防団の役割がとても重要になります。横浜市内では、20の消防団で約8,000人の消防団員の皆様が活動してくださっており、大変心強い存在です。
○市民との対話で防災意識の高さを実感
−横浜市の防災の強みはどういうところにあると思われますか?
地域の力は、横浜市の大きな強みの一つだと思います。地域の皆様の自主防災組織である「町の防災組織」を、概ね自治会町内会単位で組織されていて、地域ごとの特性を踏まえた災害対策に取り組んでくださっています。
市長に就任して以来、多くの地域へ出向き、市民の皆様と対話していますが、「自分の身は自分で守る、皆の地域は皆で守る」という気持ちを常に持ち、普段から災害に備えていただいている地域の皆様がとても多くいらっしゃることを心強く感じています。横浜市としても、こうした地域の取組をしっかりとサポートしていきます。
−確かに、横浜は「3日住んだらハマっ子」という人もいるぐらいで、関西出身の私でも地元意識を持てる土地柄は、強みと言えますね。では、市として力を入れている防災の取組を教えて下さい。
災害時の市民の皆様への情報発信に、力を入れています。大きな災害が起こると、どなたでも動揺し、混乱し、不安な気持ちになると思います。その時に、今何が起きているのか、今後どうなるのかなど、状況や見通しを正確に把握していただけるようにしたいと考えています。
○様々なデジタルツールで情報発信、AI使って中小河川の洪水防止も
「横浜市 防災情報ポータル」というウェブサイトでは、気象情報をはじめ、避難指示の内容や避難所がどこで開設されているかなどをリアルタイムで発信しています。そのほか、横浜市のホームページや公式SNSなどで発信しています。民間の事業者さんと連携して、横浜駅周辺の142か所のデジタルサイネージでも緊急情報を発信できるようにしました。 今後も、様々なツールを活用してタイムリーで分かりやすい情報発信を行っていきます。
−いち早くGISマップを活用するなど、横浜市のデジタル防災には定評があります。私も、市民のワークショップで使われることを想定した「わいわい防災マップ」の発足時にお手伝いをしたこともありますが、平時からのデジタル防災の現状はいかがですか。
横浜市では、デジタルの力で利便性を高め、市民の皆様に「暮らしやすさ」を実感していただけるよう、DX(デジタルトランスフォーメーション)の取組を進めています。その中で、防災の分野でも、デジタル技術を活用することで、より効果的な災害対策を行えると考えています。
そうした「防災DX」の取組の一つとして、「河川の土砂堆積量の分析」があります。市内には横浜市が管理する河川が約86kmありますが、雨が降ると土砂なども一緒に流れ込み、川底に堆積します。その影響で川底が上がって必要な断面を確保できなくなれば、流下能力が低下し最悪の場合、洪水の原因にもなってしまいます。
これを防ぐため、現在は、市の職員が全86kmを歩いて河川の土砂の量を目視で点検しているのですが、この作業を、航空写真のAI画像解析等のデジタル技術で代替し、堆積土砂量や傾向まで把握しようという実証実験を行っています。
これがうまく実用化できれば、これまで行っていた堆積土砂量を把握するための現地での目視点検作業をゼロにすることができますし、土砂堆積の傾向を正しく把握することで計画的な堆積土砂の撤去が可能になりますので、より一層市民の皆様に安心いただける河川管理が行えると期待しています。
今年4月には、スマートフォンやパソコンを使って、いつでもどこでも防災を学べる「よこはま防災e-パーク」というサイトを開設しました。風水害をはじめ、火災・救急・地震などにどう備えればよいかを、わかりやすいデジタル教材で学べます。特に、「ポケモンぼうさいきょうしつクイズ」は、楽しみながら防災の知識を学べるので、お子さんたちにも人気です。こうして学んだ横浜の子供たちが、大人になった時、地域防災の担い手として活躍してほしいと思います。
○壊滅的な被害から先人たちが成し遂げた横浜の復興を知って
−「ぼうさいこくたい2023」で横浜に来られる方々には、どんなことを学んで帰って欲しいですか?
今回の「ぼうさいこくたい2023」には、全国から様々な防災の担い手の皆様が参加され、防災・減災に関するワークショップや展示など、過去最多となる390もの出展が予定されています。
出展者の皆さまの中には、被災経験のある方々もいらっしゃいます。そうした方々から、実体験や教訓についてお話を聞くことができる貴重な機会ですし、ご自身の日頃の備えや行動を見つめ直すきっかけになると思います。そして、市民の皆さまには、防災グッズや水・食料の備蓄など、必要な準備をしていただきたいと思います。
また、横浜開港資料館、横浜みなと博物館、中央図書館など、市内では関東大震災関連の企画展を開催しています。大災害の中を生き抜いた横浜市民の様子を、当時の資料や写真から知ることができます。関東大震災の記憶を風化させないために、横浜で壊滅的な被害があったこと、そして、そこから力強い復興を成し遂げた先人たちの努力を、多くの方々に知っていただきたいです。
−当時の横浜市が、市民に向けて「横浜市日報」という広報紙を10日後から50日間出していたのは、開港資料館の展示で私も初めて知りました。地元新聞社と共に出したそうで、業界人としても先輩たちの働きに感動しました。こくたいに参加される皆さんも、いろんな発見があると思います。こくたいだけでなく、いろんな博物館などの企画展もご覧いただければと思います。今日は、ありがとうございました。
(取材・構成、中川和之 TEAM防災ジャパンアドバイザー、時事通信社解説委員、横浜市在住)